起業を阻む制度問題(上) のれん償却は成長の足かせ
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250514&ng=DGKKZO88626770T10C25A5KE8000
【コメント】
  • 会計と企業経営に関わる立場の人間は、持論を持っておくべきポイントですので、記事を掲載しました。
  • この記事内の「スタートアップの出口戦略」という文章は非常に気になります。IPOやM&Aが出口との認識を筆者の方が持たれているならば、私はそれは間違いだと思います。IPOやM &Aは、出口ではなく企業成長の途中経過です。なぜIPOやM&A(をされる)かといえば、資金調達の手段だからです。IPOやM&Aを行い、起業家が大儲けをしてハイ終了という間違った風潮を助長する表現は控えるべきと個人的には思います。
  • 論調は、日本基準ののれんの定時償却に問題があるとのことですが、個人的には日本基準が正しいと感じます。のれんの定時償却をコストとして毎年認識をした上での営業利益の算定を行うことが適切と思います。理由は、「のれんの価値は減価する」と考える方が適切だからです。
  • M&Aを行うと、PPAで「のれん」と「無形固定資産」に識別され、IFRSではと米国基準ではのれんは定時償却の対象ではありません。毎年の減損テストで価値判断が行われます。
  • 私はそもそもPPAでどうして大部分が無形固定資産と識別され定時償却の対象にならないのかの疑問があります。無形固定資産に識別されれば定時償却の対象になります。
  • のれんと識別された部分があれば、最大20年というルールなどは廃止し、適切にのれんの有効期間を判断しその期間での定時償却にすべきと感じます。もちろん毎年の減損テストは行い、のれん(や無形固定資産)の効力期間の判定は重なうべきです。
  • これまでの個人的な狭い企業経理での実務経験からすると、企業の(特にサラリーマン上がりの)経営者の中にはM&Aをしたがります。そしてIFRSや米国基準を好みます。理由は自身の在任期間中に高い営業利益を計上できるからです。数年後に余儀なくされる減損の際には自身は会社にいません。
【記事概要】
  • 日本におけるスタートアップの出口戦略、すなわちエグジットの特徴の一つは、新規株式公開(IPO)に偏重している点である。20年の日本におけるエグジットはIPOが76%、M&A(合併・買収)は24%であった。
  • これに対して、欧米ではM&Aが中心を占めている。同年の米国ではM&Aが90%、欧州では67%であった。資金供給の強化と出口戦略の多様化は、表裏一体の関係にある。資金供給が強化されないと、出口戦略は多様化されないし、その逆も真である。
  • これまで多かった、いわゆる「小粒上場」の背景には、IPO後に成長軌道に乗らないことに加え、IPOがスタートアップの主なエグジット手段となっている事実がある。スタートアップへの投資を増やし、成長を促すためには、M&Aのほうを増やすことが欠かせないのだ。
  • しかし、M&Aを増やす上で障害になっているのが、日本の会計基準(以下、日本基準)における「のれん」の会計処理である。のれんとは、買収する企業が提示する買収価額と買収される企業の純資産との差額だ。日本基準では、最大20年以内に定期償却を行い、その償却費を販管費として処理することが求められている。
  • 国際会計基準(IFRS)と米国基準では、規則的な償却は行わない。また、のれんの減損処理についても、日本基準はIFRSおよび米国基準とは異なる。日本基準では減損の兆候が存在する場合に減損テストを実施するのに対して、IFRSと米国基準では毎年減損テストを実施する。
  • のれんの会計処理については、理論的にも歴史的にも、盛んに議論が行われてきた。日本基準でも、03年までは5年間の均等償却が求められていた。米国では1970年に公表されたAPBO17号「無形資産」によって、40年以内の規則償却が要求されていた。英国で1984年に発表されたSSAP22号「のれんの会計」では、原則として資本から一括控除する、持ち分控除法を求めた。
  • 10年代後半に、IFRSを開発する国際会計基準審議会(IASB)と米財務会計基準審議会(FASB)も、上場企業におけるのれんの償却について検討した。しかし、FASBが22年6月にのれん償却を基準開発から除外する決定を行うと、IASBも同年、定期償却しない現行ルールの維持を決議した。
  • IFRSと日本基準で、のれんの会計処理が異なることについては、2つの論点がある。ひとつは、財務諸表の比較が難しくなることである。洗練された投資家は、会計処理の相違については修正して投資の意思決定を行う。しかし、会計数値を機械的に分析する投資家も多い。もうひとつは、競争条件の平等化を妨げていることである。
  • 日本基準ではのれんを定期償却し、販管費に計上するため、日本基準を採用する企業ではIFRS採用企業より営業利益が少なくなる。また、日本基準で財務諸表を作成する企業が他社を買収する際、のれん償却に伴う利益減少を懸念し、高い買収価格を提示できず、他国企業のM&Aに競り負けることもある。
  • かつ、日本企業では国内企業同士のM&Aが多いため、日本基準で財務諸表を作成する企業は買い手となりにくい。これらの経済的帰結は、スタートアップのエグジットとしてM&Aが少ないことと密接に関連している。
  • のれんの定期償却をめぐる実証研究でも、経済的帰結について議論されている。慶応義塾大学の武田史子教授らは、M&Aに対して積極的な企業ほどIFRSを適用していること、またIFRSを適用した企業では、適用後にM&Aの件数が増加することを示している。これは、のれん償却によってM&Aが阻害されている可能性を示唆する。
  • さまざまな研究で、欧米企業、そして日本でもエンターテインメント産業を中心に、無形資産が企業価値の決定因子となっている証拠が提示されている。のれんの定期償却を求める日本基準は、有形資産を中心としたビジネスモデルを前提としているといえる。
  • 表2にプライム、スタンダード、グロースの各市場の企業について、日本基準とIFRSごとにのれんが総資産に占める割合を示した。これより、2つのことが明らかになる。
  • 第1に、IFRS採用企業は日本基準採用企業よりも、のれんを多く計上している。IFRSではのれんを非償却とする要因に加えて、IFRS採用企業は適用前からM&Aに積極的で、適用後のM&Aの件数が多いという武田教授らの研究と整合的である。
  • 第2に、採用する会計基準にかかわらず、グロース市場に上場する企業はのれんが多額である。つまり、のれんの償却はとりわけスタートアップにおいて論点となるのだ。上場企業は、日本基準、IFRS、米国基準を選択可能である。ただし、IFRSへの移行には複数年の準備期間を要するほか、経済的負担も小さくない。
  • 会計制度によって、企業の実態が財務諸表に反映される。会計基準設定では経済的影響だけでなく、中立性を重視する必要がある。しかしながら、国際的調和化の観点からみれば日本基準は少数派であり、日本基準はスタートアップに負の影響を与えていると言わざるを得ない。
  • 日本基準におけるのれんの会計処理の見直しに当たっては、いくつかの方向性がある。ひとつの方向性は、国際的調和化の観点から、のれんの償却を廃止することである。ただし、規則的償却による保守的な会計数値を選好する経営者や投資家への配慮は必要だろう。また毎年、減損テストを実施することになるため、その負担もある。
  • いまひとつの方向性は、償却と非償却を選択制にすることだ。のれんをめぐる日本独自の考え方を温存しつつ、企業は資本コストの低下に結びつく会計処理を選択できる。国際的調和化と経済的影響の観点から、のれんの会計処理について議論が深まることを期待したい。