日本の経済政策3つの悪癖

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20241214&ng=DGKKZO85464440T11C24A2DTC000

 

【コメント】

  • 日経が現代政治の悪癖を記事化していました。「緊急対策」「スローガン」「宣言」だそうです。
  • 「なるほど!」と思うかたも多いのではないでしょうか?

 

【記事概要】

  • 日本の経済政策にはいくつかの悪癖がある。ぜひ改めてほしいものだ。
  • 第一は、緊急対策を乱発することだ。近年も毎年秋になると経済対策の議論が始まり、補正予算が編成され、財政支出が追加される。もはや恒例行事と化している。リーマン・ショック、東日本大震災、新型コロナウイルス禍など予測できない外的環境の変化で経済社会が大きく動揺する時に、緊急対策を講じることは当然必要だ。しかし、それほどの外的環境の変化がないにもかかわらず緊急対策を打ち出し続けると、政治家も各省庁も補正予算を前提とした行動をとるようになり、詰めの甘い財政支出を容認することになる。
  • 第二は、スローガンに頼ることだ。近年では岸田文雄前首相が「新しい資本主義」「資産所得倍増計画」「デジタル田園都市国家構想」などと掲げた。歴代政権は独自色を出そうと、スローガンを工夫するのだが、独自色が強いだけに、次の政権は同じ政策を引き継ぎたがらないという傾向がみられてきた。そうなると、長期的に一貫すべき政策がこま切れになってしまう。「資産運用立国」「観光立国」「科学技術立国」「教育立国」など「立国」というスローガンも多用される。しかし、立国というからには、国の経済を支える太い柱を示すべきであり、その太い柱が林立するのは異様だ。立国というスローガンを使い出しても、絞り込めないのだろう。
  • 第三は、「宣言」にこだわることだ。これまでも、景気の局面が変わりそうになると政府が「景気回復宣言」「景気後退宣言」をいつ出すのかが議論になってきた。現在も、いつ「デフレ脱却宣言」を出すのかが注目されている。政府の宣言により経済の局面変化が明瞭になり、経済主体にとって不確実性が小さくなるという効果はあり得る。もっとも、政府は万能ではなく、適切なタイミングで宣言が発出される保証はない。また宣言は政治的な動きに左右されやすい。例えば、デフレ脱却宣言は政策の成功をアピールする一方、「もう政策的な後押しは必要ありません」という宣言にもなり、政治的な思惑が入り乱れる。政府が宣言を出しても出さなくても経済は動き続ける。「もう政府は宣言のようなものは出しません」と宣言してはどうだろうか。