長嶋茂雄さん死去 89歳 元巨人監督、ミスタープロ野球
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89127900U5A600C2MM8000
戦後日本を照らした長嶋氏
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89127190U5A600C2EA1000
永久不滅の「3」 「燃える男」長嶋茂雄さん死去
巨人V9・天覧サヨナラ弾・10.8決戦 球界輝く「カラー時代」に
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89126270T00C25A6UU8000
日本励ましたミスター 長嶋さんの横顔、それぞれの思い
理論より感情 熱さ魅力/経済再興 期待と重なる/リハビリ全力 患者鼓舞
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89124300T00C25A6CM0000
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89127900U5A600C2MM8000
戦後日本を照らした長嶋氏
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89127190U5A600C2EA1000
永久不滅の「3」 「燃える男」長嶋茂雄さん死去
巨人V9・天覧サヨナラ弾・10.8決戦 球界輝く「カラー時代」に
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89126270T00C25A6UU8000
日本励ましたミスター 長嶋さんの横顔、それぞれの思い
理論より感情 熱さ魅力/経済再興 期待と重なる/リハビリ全力 患者鼓舞
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250604&ng=DGKKZO89124300T00C25A6CM0000
【コメント】
- 昨日、長嶋茂雄さんが亡くなりました。
- 経済誌である日経新聞も4本の記事を掲載しています。日本のプロ野球を拡大・活性化・グローバル化した功績がとても大きいからでしょう。
- 長嶋茂雄さんは、プロ野球を単にスポーツだけでなくエンターテイメント事業として注目させたいわば役者のような存在だったのだと思います。まさに「メークドラマ」の立役者でした。
- 今から約60年前のプロ野球には、長嶋茂雄さんを中心に王貞治さん・金田正一さん・野村克己さん・村山実さんなどなどスター性の高い選手が数多く活躍していました。現在の日本のプロ野球にも多くの身体能力の高い選手が活躍をしていますが、野球を演者として盛り上げているスター性の高い選手が多かったのは長嶋茂雄さんが現役や監督として活躍していた時代には及ばないと感じます。
- 現在大谷選手など有望な日本人選手が大リーグで活躍し、日本野球はグローバル化しています。若者が野球に熱中し技術を上げていった遠因は、かつての長嶋茂雄さんを中心としたスター選手の影響が大きいのだと思われます。
- ご冥福をお祈りします。
【記事概要】
- 「ミスタープロ野球」の異名で国民的人気を博した長嶋茂雄・巨人終身名誉監督が6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。読売新聞グループ本社が同日発表した。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は次女、三奈さん。
- 1959年、プロ野球初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放ち、王貞治さんとの「ON砲」で9年連続日本一に輝く黄金時代を築いた。2013年、監督時代の教え子に当たる松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞した。
- 1936年千葉県佐倉市生まれ。立教大で通算8本塁打と当時の東京六大学記録を樹立し、58年に巨人入り。開幕戦では金田正一投手(国鉄=現ヤクルト)に4打席4三振だったが、新人ながら本塁打、打点の2冠を獲得し新人王に選ばれた。
- 無類の勝負強さを誇り華麗な守備でもファンを魅了した。高度経済成長期にプロ野球を国民的娯楽に押し上げ、社会の活力の象徴と見なされた。
- 明るい性格やユーモアあふれるコメントでも広く愛された。74年に「わが巨人軍は永久に不滅です」との言葉を残して引退。背番号「3」は巨人の永久欠番となった。
- 巨人の監督としてリーグ優勝5回、日本一2回。94年にはシーズン最終戦に優勝争いが持ち込まれ、自ら「国民的行事」と位置づけた中日との「10.8」決戦を制した。
- 96年は最大11.5ゲーム差を逆転し優勝、「メークドラマ」が流行語になった。2000年の日本シリーズでは王監督率いるダイエー(現ソフトバンク)との「ON対決」を制し、日本一に輝いた。監督としての通算成績は1034勝889敗59引き分け。
- 日本代表監督として04年のアテネ五輪で指揮を執る予定だったが、脳梗塞で倒れて断念した。05年文化功労者、21年文化勲章。
- 07年7月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。