奥田碩氏が死去、93歳 トヨタ社長や経団連会長など歴任https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD1362C0T10C25A3000000/

【コメント】

  • 朝刊休刊日ですが、昨夜日本経済を牽引してきた経営者が亡くなった記事がアップされていました。
  • 奥田さんはトヨタ自動車の社長/会長などを歴任し、日米貿易摩擦対応で米国への単独進出を推進、またハイブリッド車(HV)の先駆けとなった「プリウス」を世に出した経営者です。
  • 賛否はあると思いますが、同氏の若者へ向けた言葉が印象的です。
  • 「人生の偏差値を上げよう」学校の成績が良く就職後もおとなしい若者が増えたといわれる。「学校の成績だけでは…」。
  • 近年は「2~3年で会社をやめる若者が多い」とも指摘されているが、若手の転職や離職の傾向には疑問を呈する。
  • 若手時代 「おかしいものはおかしい」

【記事概要】

  • トヨタ自動車元社長の奥田碩(おくだ・ひろし)氏が8日、老衰のため死去した。93歳だった。創業家以外から28年ぶりに社長に就き、トヨタを世界有数の自動車メーカーへ押し上げる土台を築いた。
  • 三重県出身。1955年に一橋大を卒業し、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社した。経理部門に長く在籍した後、フィリピンへ赴任。延滞資金の回収交渉などで頭角を現した。
  • 82年に取締役に就任。日米貿易摩擦への対応のためトヨタが米国への単独進出を決めると、北米事業準備室に入って用地の選定に当たった。米ケンタッキー州の工場はその後、トヨタの北米での主力拠点となった。
  • 95年、創業家出身の豊田達郎氏が病気で倒れ、急きょあとを引き継いで社長に就いた。82年にトヨタ自動車販売とトヨタ自動車工業が合併して現在のトヨタになって以来、創業家以外からの社長就任は初めてだった。
  • 97年に発売してハイブリッド車(HV)の先駆けとなった「プリウス」、若者層をターゲットにした小型車「ヴィッツ」などの開発・販売を主導した。商品力の強化や海外展開へ力を入れ、トヨタの国際的な地位を確立した。
  • 2002年に、旧経団連と旧日本経営者団体連盟(日経連)が統合した経団連の初代会長に就任。政府の要職も歴任した。08年に旭日大綬章を受章した。
  • 人生の偏差値を上げよう
  • 日本は長くデフレが続き、成長が止まっているといわれています。社会人になる人たちはそうした時期に育ってきたわけです。しかし、海外に目を転じれば成長できる余地のある地域は数多くあります。今や世界はつながっていて、メーカーも各地で「地産地消」を推し進めています。日本に閉じこもってはいけません。どんどん海外に目を向けてもらいたいものです。
  • 学校の成績が良く就職後もおとなしい若者が増えたといわれる。「学校の成績だけでは…」と話す奥田氏の若手社員時代は違った。
  • 今の新入社員には学校の成績が優秀で、偏差値が高い人はたくさんいます。しかし、これだけでは足りません。「人生の偏差値」を高めなければいけないのです。恋愛でも何でもいい。何かにとことん打ち込めば、失敗があってもそこから得られるものがあります。それが人生の偏差値を上げることになると思います。
  • 私は生来の悪ガキでよく悪態をつき、上司とは意見を戦わせていました。トヨタ自動車販売に入社すると経理部に配属になり、3年くらいたって「総勘定元帳」の管理を任されました。各種取引や経費、幹部の交際費などの伝票を管理する担当です。その伝票にざっと目を通せば、社内の人やモノ、カネの流れが全部わかりました。
  • 取引がわかりにくい伝票をみつけては上司だろうが役員だろうが、問い詰めました。社内では「生意気だ」と煙たがられました。しかし、こんな業務を10年間やり続けると、一種、経営者的な観点から会社を網羅的にみられるようになります。「ここを押せばこう動く」ということがわかり、その後大いに役立ちました。
  • 近年は「2~3年で会社をやめる若者が多い」とも指摘されているが、若手の転職や離職の傾向には疑問を呈する。
  • 奥田さんの歩み1955年一橋大学商学部卒、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社経理部に配属72年フィリピンのマニラ駐在員事務所で勤務トヨタのエンジン工場立ち上げなどに携わる82年トヨタ自動車取締役に95年社長就任97年社長直轄組織として若年顧客向けの新商品などを企画する「ヴァーチャル・ベンチャー・カンパニー」を発足ハイブリッド車(HV)「プリウス」を発売99年会長に2002年経団連会長に就任12年国際協力銀行総裁に就任
  • 今の若い世代の人たちはすぐ転職したり、あきらめが早かったりするみたいですが、辛抱強くやってみることも大切でしょう。私が愛読する山本周五郎の作品に「ながい坂」という小説があります。下層武士の身から、学問と武芸に励み苦労して城代家老まで上り詰める話です。忍耐とか辛抱の大切さを説いています。ゲーテの「ファウスト」の中にも、「努力する者が救われる」といった趣旨の話があります。
  • これまでを振り返ると、つくづく自分は「運」がいいなと思います。ただ、運は何もしないでついてくるものではない。いろいろな場所に出向き、様々な人に出会い、多くの体験をするなかで巡り合うものでしょう。
  • 今は物質的に恵まれていますが「苦労は買ってでもしたほうがいい」と思います。それが「人生の偏差値」の向上につながります。「いざとなれば死んでもいいくらいだ」、「人間なるようにしかならない」といった悟りみたいなものを私は持っています。まず、なるようにがんばる。最後まであきらめずに、時間をかけてもやり通す。そういう覚悟をもってすれば怖いものは何もないのです。そこから新しい境地にも立てる。他人の評価も気にならなくなるのです。
  • トヨタ時代は、中堅にさしかかる頃にフィリピンでも貴重な経験をしました。トヨタにとっては初めて海外でエンジンを作るプロジェクトでした。
  • フィリピンは当時、日本人エンジニアも2人くらいしかいない所で、左遷だとか言う人もいたみたいです。しかし、駐在員が少ない分、日本の本社から幹部が来たときには全部自分たちで応対しないといけないので、幹部たちの目に留まるチャンスが多くあります。モノは考えようです。
  • エンジンは「他のメーカーから調達すればいいだろ」という幹部もいましたが、自動車メーカーがクルマの心臓部にあたるエンジンなど「秘中の秘」の部品を、他社から調達することは「ありえない」と反対し、押し切って進めた記憶があります。
  • 延滞されていた資金を回収する仕事もやりました。時の政権に近い回収相手でしたが、粘り強く交渉して、何とか切り抜けました。
  •  トヨタの社長時代はハイブリッド車など斬新なクルマづくりをトップ主導で展開。思いを貫く姿勢は若い頃から続いている。
  • 今の若い人は周囲の目を気にしがちのようですが、「自分のやりたいことをやる」という思いがある方がいいと思います。私は反抗心も強かったため、言いたい放題でやってきました。仕事上ではほとんどストレスを感じたことはありません。ただ、先のことや結果ばかりにとらわれず、一生懸命、徹底して物事に取り組みました。簡単にあきらめない、あの人、あの会社には負けたくない、という気持ちを持っていました。
  • あとは健康に気を使って下さい。体力が弱ると、気力、知力も弱まってきます。世界を飛び回るにも体が基本です。
  • 若手時代 「おかしいものはおかしい」
  • 仕事では「苦労と言われることも苦労と思わなかった」という。会社で担当することが栄誉といわれる「総勘定元帳」の管理を入社約3年で任されたのは若くしての抜てきだったが、それに萎縮などしない。「おかしいものはおかしい」と上司にも直言する姿勢は変わらず、培った度胸は、その後の新興国での現地要人らとの折衝で、相手の懐に飛び込む要因にもなった。
  • 一方で「独身寮で多くの仲間とよく遊んだ」と振り返る。「競馬などにはまり、そのストレスで血を吐くような思いをした」こともあったそうだ。「こういう失敗談もあとで思えばいい経験で役に立った」という。「よく働き、よく遊ぶ」を地でいったといえる若手時代だったようだ。
  • 「変わるリスクよりも、変わらないことのリスクのほうが大きい」とトヨタの社長時代に社内で問い、ハイブリッド車「プリウス」の開発を加速させる。失敗を恐れずに先行技術に投資する胆力は若い時の様々な経験で備わった。