円相場に「安定装置」 米利下げ観測も需給均衡 日米金利差と連動薄れる
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20250827&ng=DGKKZO90916060W5A820C2DTC000
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【コメント】
- 今朝は日米金利差の動向(米国利下げ、日本利上げ)とドル円レートの相関関係が薄れており、ドル円は140-150円で安定的に推移し、今後もこの傾向が続くであろうという記事です。
- 今後の予想される日米金利差だけを捉えればドル安円高に触れるのが一般的ですが、為替の需給が今年に入ってから均衡していることがドル円の安定をもたらしているそうです。
- また記事にはありませんが、中長期的には ①日本の生産年齢人口の減少 ②日本人個人の対外投資志向(特に対米) ③トランプ関税による対米投資の増加 ④日本企業の米国現地生産拡大による日本からの輸出減少 などにより円安が見込まれます。
- 特に、日本の生産年齢人口の増減は、ドル円と強い相関関係があることが歴史的に証明されています。意欲のある若者が増え続けていた20世紀後半には円高基調でしたが、21世紀に入り生産年齢人口が減少に転じると円安基調に変化しています。
- やはり一定程度、円以外の資産(ドル、金 など)を保有しておくことが将来のリスクヘッジになるのかもしれません。(投資は自己責任で!)
【記事概要】
- 円相場の感応度が鈍っている。日米の金融政策変更を巡る観測が広がっても、いっこうに相場の方向感が見えてこない。背景には、中長期的な相場材料である需給要因が均衡し、相場変動を阻んでいる構図がある。
- よほど現在の相場水準は居心地がいいらしい。円相場は4月以降、ほぼ1ドル=140~150円の範囲内で長期停滞。米トランプ政権からドル高是正や米利下げを求める発言が次々と飛び出しても、なお明確な方向性を見いだせない。
- 象徴的だったのが、主要中央銀行の関係者が集まる米経済シンポジウム「ジャクソンホール会議」で8月22日に実施した米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長の講演。「政策の調整を正当化しうる」と発言したことで、9月の米利下げ観測が広がり、同日のニューヨーク市場では、円相場が一時、日米金利差縮小の思惑から146円台まで跳ね上がった。ところが週明け25日にはすぐに147円台に逆戻り。その後、トランプ大統領がFRBのクック理事の解任通知書を公表し、米利下げ圧力が一段と強まるとの思惑が市場に広がったが、それでも円相場は一時的な上昇にとどまった。
- 興味深いのは、昨年の歴史的な円安局面まで見られた円相場と日米金利差の連動が薄れていることだ。今年に入り、FRBの利下げ観測と日銀の利上げ観測で日米金利差は縮小傾向が続いている。だが円相場は大幅な円高・ドル安で反応することなく、停滞色を強めている。なぜ連動が崩れたのか。
- 実は、日米金利差の縮小で円高・ドル安の進行を見込む市場参加者がいなくなったわけではない。米商品先物取引委員会(CFTC)のデータによると、相場形成の先導役を担うヘッジファンドなどの投機筋による対ドルでの円買いは、4月時点で過去最大規模に達していた。
- 過去の円高局面では、ヘッジファンドの円買いで損失が膨らむ日本の輸出企業があわてて円買いで追随し、円高が加速する構図だった。だが現在は、企業が円買いで追随する動きはほとんど目立たない。
- 財務省が国内外のお金のやり取りを集計した国際収支状況によると、今年に入って企業の動向を反映する貿易・サービス収支はほぼ均衡している。1月こそ中国の春節などに伴う季節要因で大幅な赤字を計上したが、2月以降は一貫して小幅な黒字と赤字の繰り返し。需給面では円買い、円売りのどちらの要因としても働きづらい状況だ。
- みずほ銀行の唐鎌大輔氏は「円相場を予想するうえで、日米の金融政策だけに注目するのではなく、需給環境にも目配りする必要がある」と指摘。円相場が140~150円の範囲内で方向感が見えなくなっている背景には、需給要因の均衡があるとみる。
- 日米の金融政策が必ずしも相場材料にならないわけではない。ただジャクソンホール会議でのパウエル議長の発言は、やや歯切れの悪い印象が目立った。野村証券の小清水直和氏は「政策スタンスの変更について『慎重に』検討できるといった具合に、大幅な利下げ幅や毎会合での連続利下げを市場に想起させないように腐心した内容に感じた」という。
- FRBの利下げ姿勢が強力でないのであれば、市場参加者も積極的な円買いには踏み切れない。その分、需給の均衡が円相場の安定装置として機能しやすくなるわけだ。円相場の感応度が鈍るのも無理のない話かもしれない。